研究
伊藤 賢伸・鈴木 利人
研究の概要
精神疾患の病態の解明や治療には、脳内の神経伝達系の異常を検証する必要がありますが、ヒトを対象とした臨床研究では、倫理上大きな制約がありエビデンスレベルの高い研究を行うことは極めて困難です。これまで死後脳や髄液を用いて研究が行われてきましたが、十分な成果を上げるには至っていませんでした。そのため、トランスレーショナルリサーチ(橋渡し研究)として、精神神経疾患を想定したモデル動物が作成され、治療薬の開発が試みられてきました。近年では、ヒトにおけるASD(自閉症スペクトラム障害)の関連遺伝子を同定し、その遺伝子を不活化あるいはノックアウトしてモデル動物を作り、モデル動物の脳を検証することで、新たな治療薬の開発を行う、といったことも行われています。また妊娠中の胎児への薬物曝露の影響などについても、倫理的にRCT(無作為比較試験)で検証することができない研究を動物を用いて確認するなどの研究も注目されています。そこで、我々の研究室では現在、トランスレーショナルリサーチ(橋渡し研究)の立場から、日常の診療経験に基づく臨床疑問を踏まえて以下にご紹介する動物を用いた基礎実験を行っています。
研究内容
1. 妊娠中薬物曝露の胎児への影響
妊娠中バルプロ酸ナトリウム(VPA)を服薬することで、出生児の自閉症発症リスクが高まることが指摘されていますが、この作用機序は明らかではありません。我々は妊娠ラットにVPAを投与し、生まれたラットの行動と脳神経細胞新生を検証し、動物モデルにおいても、VPA曝露ラットは多動などの行動異常を呈し、海馬神経細胞新生が一過性に増加し、その後減少することを明らかにしました(Kinjo 2019, Ito 2021)。近年では、妊娠中のSSRI曝露が出生児のASD発症リスクにかかわる可能性がヒトで指摘されており、これに対するモデルラットを使った研究も行っています。
2. 電気けいれん刺激と血液脳関門透過性
電気けいれん療法(ECT)は、1930年代から続く、うつ病や統合失調症を対象とした治療であり、薬物療法に比較して極めて治療効果が高いことで知られていますが、その作用機序は明らかではありません。我々はこのモデルラットを用いて、電気けいれん刺激(electroconvulsive stimulation ; ECS)を起こない、ラット脳内の変化を検証しました。その結果、脳構造として海馬神経細胞新生が一過性に2倍以上に亢進すること、血液脳関門透過性が一過性に亢進することを明らかにしました(Ito 2010, Ito 2017)。血液脳関門透過性は、薬物療法を行う上で大きな影響を与えるため、さらなる検証を行うため、2018年度科研費に応募し、基盤Cで採択され(18KO7571)、研究を続けています。
3. 電気けいれん刺激と血液脳関門透過性
自閉症スペクトラム症(ASD)は社会的コミュニケーションの障害であり、成人後の就労に大きな影響を与えることが多いですが、その発症機序は未だ不明であり、治療法も確立していません。現在アメリカを中心に遺伝子検索が進み、発症機序の一部に遺伝子のde novo変異がかかわっていることが指摘されています。また薬剤誘発性のASDとして、妊娠中のVPA曝露が指摘されていますが、de novo遺伝子変異とVPA曝露の関係は未だ不明です。近年になりTakataら(2018)は、胎児へのVPA曝露により遺伝子発現が抑制される遺伝子の一部がASDでde novo変異を指摘されている遺伝子と共通であることを報告しました。そこから逆にすでに公開されている薬物による遺伝子発現変化のデータベースを使って、VPAで抑制される遺伝子の発現を増加する化合物を同定し、ASDの治療薬にすることを提案し、2020年AMEDの創薬ターゲット研究に採択されました(20ak0101128h0001)。該当する物質としてdigoxinを候補し、まずは細胞実験にて、ASDに関係し、かつVPAで遺伝子発現が抑制さる遺伝子とdigoxinで遺伝子発現が増加する遺伝子をRNAシーケンスを用いて検証して、新たな作用機序に基づく創薬を試みています。
4. トランスレーショナル以外の研究
近年、脳深部刺激(deep brain stimulation : DBS)、ECT、経頭蓋磁気刺激(TMS)、経頭蓋直流刺激(tDCS)など様々なデバイスを用いて神経組織を刺激して活動に干渉する方法が発展し、これらはニューロモジュレーションと呼ばれています。これらの発達は新たな治療の確立と症状改善の一助となりうる一方で、副作用について十分検証できていないことや作用機序が明らかではない場合もあります。我々はすでに保険適応となっている、パーキンソン病に対するDBSに着目し、DBSの術前術後評価を行いながら、DBSが精神症状に与える影響について検証しました。2015年8月から2018年9月に当院でDBSを施行された143人について、後ろ向きコホート研究を行い、術後急性精神病となるリスクについて検討しました。その結果、これまでリスクと考えられていた認知機能については、急性精神病については有意なリスクファクターではなく、若年であることとパーキンソン病の重症度が高いことが術後急性精神病のリスクであることが明らかとなりました(Ito 2020)。今後もデータを蓄積し、より安全なニューロモジュレーション治療を確立する一助となる研究を行っていく予定です。
研究者紹介
特任教授 名誉教授
鈴木 利人(すずき としひと)
[順天堂越谷病院:院長]
[大学院医学研究科精神・行動科学]
研究の詳細
先任准教授
伊藤 賢伸(いとう まさのぶ)
[順天堂医院:メンタルクリニック 医局長]
研究の詳細